小路(こみち)のブログ

趣味の絵やその他日々感じたことを綴っています

プロフィール

キャンデイ

同年配の知人と会った時 戦後間もなくの頃の 話になった 彼女の家は 米軍キヤンプの近くにあった 米軍のジープが頻繁に通る 誰かが 「ジープが来たぞ~」 と 叫ぶ すると 男の子も女の子も それっ とばかりに 家を飛び出して ジープの後を追いかけ 口々に 「キャンデイ…

血圧

このところ 血圧が異常に高いので 診断をうけた 脳のMRIのフィルムを見ながら 医者は 年齢なみに 老化しています と言った 年齢以上に 老化しています と言われなかっただけでも良しとするか 薬を処方してもらったが 午後2時に 飲むように言われ 軽く はい とは…

未支給の年金

未支給年金の 記録が残っているので 希望される場合は 申請するように と 年金機構より通知書が届いた 添付の申請書類に記入して返送した その時 私の頭に浮かんだのは 戻ってきたお金で ミシミシ鳴っている フローリングの リフォームをする事 なぜ 根拠もなく リフォームが 浮…

サッカー

母が サッカーの ファンだったとは 亡くなったあと聞いた サッカーとは まあ 今風な と 感心していると 妹が 「 野球は見ていて 状況が分かりにくいが サッカーだと 玉が どの方向へいって どちらが得点したか 見ているだけで分かるから」 と言った ベッドに寝たまま観戦して…

ATM

友人が「ATMで検査してもらったが 特に異常は見つからなかった」 と言った。 「それはよかった 安心ね」と私はいう 私達の世代は それで結構通じるのだ 英字が3個続いていれば 話の流れで それと理解できる 深く追及しないのだ PPT でも DHA でも構わない …

コーヒーに 間違えて塩を入れる という図は マンガの一こまだけ と思っていた コーヒーを一口飲んで 思わずはき出した 塩と砂糖入れの位置を 左右入れ違えていたのだ そう言えば 白いかたまりを崩すとき いつもより ざらつくように感じた それでも 糖分控えめで 一番小…

”櫛の歯が欠けたように” とか ”欠けるように” という言葉をみると 昔の人の感性に 共感する 子供のころは 髪を梳くのは 木か セルロイド製の櫛で ヘアーブラシという物は なかった 文字どうり くし型の 櫛だ 欠けはじめるのは どういうわけか 歯の短い両端のほうから…

バナナ

私達きょうだいは 大人になるまで バナナ と言うものを 食べさせてもらえなかった。 終戦間近 向かいの家の 3歳になる男の子が バナナを食べて 疫痢(えきり)に罹り急死したからだ。 小児が罹る感染性下痢で 今はほとんど病名も聞かないが。 食べ物のない時代の…

発声法

テレビの大河ドラマを見ていると 台詞が聞こえない時がある。 バックの音楽が大き過ぎて 聞こえないのだと思い ドラマの作り手に 不満を持っていた。 その後 日々のテレビの画面を通して アナウンサーの声は聞き取れるが 対する 一般の人の喋る声は 不明瞭な事が多いのに気付…

席次

親戚の法事に招かれるごとに 私の席が 徐々に 床の間に近づいているのを かんじる 床の間の近くは 白髪の老人の座と決っていたのに。 私より上座には 昭和ひとけた生まれが ひとり ふたり 座するのみ だんだん崖っぷちに 押し上げられていく ここちがする。 …

友だちの輪

同じ年代の友人 知人達は 近頃 自己主張が強くなったようだ。 先が短いのを 感じるのか 言いたいことを 言っとこうと 思うのか 舌鋒も鋭くなってきた。 一様に プライドだけは 高く 本人達は 一を聞いて十を知る つもりで いるのだが そう錯覚しているだけで …

物忘れ対策

洗濯機のまえから 台所に戻ってきて 部屋の中が 変に もやっ と 温かいのを なぜだろうと おもいつつ コンロの上の ヤカンに目がいって 思いだした。 湯を沸かしていたのだ。 沸騰寸前で フタが震えている 二階へ上がる時だけは 必ず消すのだが。 会社員の 首に掛け…

クーリングオフ

葬祭会社に 会員の契約をした。 後日 家族に確認の電話が 入るとの事。 息子に伝えると 七十歳を過ぎて 勝手に 契約などするな。 約款などを 検討するので 直ぐ クーリングオフの手続きをしろ。 それも 内容証明付きの速達で 出せ。 などと言う。 母親が 詐欺にか…

人参の皮

二十数年も 前になろうか 長男が 家に 彼女を連れて来たことがあった。 私がパートの仕事から戻った時 彼女は 既に帰った後だった。 息子は 彼女が さっき作ったと 「お母さん チキンライスは こうゆう風に 作るもんだよ」 と きれいに盛り付けられた皿を 自慢気に差…

筋力

いつの頃からか バッグや 靴 日傘 など 軽い物を選ぶようになっていた。 軽い 折りたたみの雨傘を買ったのが 始まりかと思う。 掛け布団も 綿を薄く入れて作ってもらった。 寒の強い夜など 毛布を一枚増やすと 押さえ込まれたような 重苦しさを感じる。 体重…

湯たんぽ

足元に湯たんぽがあると いつもは縮こまっている体も ぐいー と伸ばしたくなる。 私が 小学生の頃 祖母は 映画館の売店の 売り子をしていた。 今で言う パートだ。 映画の夜の部が始まると すぐ売り場のカーテンをおろし 売上げの計算をし 商品をまとめて雇い主へ…

音感

何もないところから 音符を自在に操り メロディーを生み出す 作曲家とは 私にとって 異星人にみえる 新曲を一度聞いて覚える など 到底出来ない デパートのBGMで いいな と感じる曲があった。 「あれは 何と言う曲?」 と 人に尋ねる わずかな間に 頭のなかの音符…

痛み

病気の痛みは 本人にしか分からず 比較のしょうのないものだが 誰でも 自分の経験した痛みが 最大と思いたいものだ。 病院へ 駆け込むと 医師は素っ気なく 尿管結石ですから 石が出たら 痛みは取れます 水を飲んで 出るまで我慢しなさい と言う。 出産の時は…

冷や汗

穴があったら入りたい と 感じる事を 忸怩たる思い と 言うそうだ。 何十年か前 NHKの美人キャスターのハシリの 宮崎みどりさんが 中国残留孤児の 映像の紹介中 残留孤児の姿に胸打たれて ニュースの原稿を うまく読めなくなる 場面があった。 後日 みどりさんは その事…

来年は

カレンダーに記入した予定を 黙々とこなし 自身では体力に自信あるるつもりでも 朝起きたとき 一仕事したように くたびれているのは 要注意なのかもしれない 月に何度かは なにもしないで ボーツとする時間がいるようだ。 小心者なので なにもしないでいるのに 後…

着るもの

小学生の頃の 友だちを思い出すとき 必ず着ていた服まで ありありと 浮かんでくる。 みんな1シーズンに 1枚か 2枚の服しか 持っていなかった。 2年間同じ服を着続ける事は ざらで 姉弟の多い子は お譲りばかりだった。 女の子は絣のモンペが 普段着で 私など よそ…

ふる里

故里の祭りに行った 故郷のめまぐるしい 変貌の中で 変わらないのは 囃しの笛の音 海や山ひだの重なり 坂の傾斜と道の曲がり具合 人の言葉の訛り くらいか。 父や母 幼友達の 面影を求めて 毎年この時期になると 帰心がつのって ふる里に戻る。 そして すで…

親と子

息子が 「お母さん これに 生年月日書いて」 と たいして重要でもなさそうな 書類をわたす。 「あんた 自分で 書いたら」 と 言おうとして 息子は私の生年月日を知らないのだ と気がついた。 生年月日は 私が国民学校に入学した時 生まれた順に 身体検査を受…

課題

同年代の知人に 近くに出来た葬祭場の見学会に 誘われた。 流行りの ”終活” に心が動く おみやげも 出るという。 でも その前にすることがあった グループホームや 介護施設の見学会だ 私の近い将来の居場所探しだ。 その また前に することがある。 私が動けなく…

台風

子どもの頃 台風は 突然やってくるものだった。 予報はほとんど 信用されていなかったので 二百十日が近づくと みなそれなりの 心づもりはしていたのだ。 向田邦子の小品に 台風に立ち向かう 家族の姿が 活写されたのがあり 当時の庶民の雰囲気を よく伝えて…

第2の脳

考え事をしながら 冷蔵庫から ちくわ の袋を取り出して 流しの前にたった。 気がつけば 右手は すでに 引き出しの中のキッチンバサミを 握っていた。 「鋏を! 」 と命じたおぼえはないが 手は 先まわりして 行動にを 起こしている。 この分では 私の脳に多少の も…

花柄の杖

とうとう杖を買った。 捻挫した 足首の腫れがひかず 当分 走ったり跳んだりは せぬようにと 言われ 気分転換に カタログにあった 折りたたみ型の杖で 可愛らしい花柄のものを 選んだ。 杖など持つと 邪魔で歩きにくいと思っていたが 3点が支えられて 以外にも …

賀状

今年の年賀状は 年内に出せるかと 少しほっとしている。 パソコンで 宛名だけでも 書けるようになったのが嬉しい。 以前は 裏表とも 手書きと手描きのため 時間がかかった。 面倒だが 絵柄だけは 一枚一枚描きたい。 一人ひとりへ 違った絵を描いていたが 枚数…

鏡の中

鏡は50センチくらいはなれて見る 近視の効果で 顔の難点がぼやけて 一時的にでも 自分を ごまかせる。 たまに 顔を近づけすぎて 後悔することもある。 若い頃は 色の白いのだけが 取り柄だった。 それが失はれた今 何をもって 自分を立て直すか 少なくとも周り…

砧(きぬた)

砧(きぬた)と言えば 砧 打ちて 我にきかせよや 坊が妻 芭蕉 の句が うかぶが わが家では 昭和20年代まで 祖母は 砧を使っていた。 糊付けした 生乾きの浴衣を 茣蓙の上にたたみ 砧で トントン叩いて 皺を伸ばし さらに 茣蓙で覆って 自分が その上に 座って 重…