小路(こみち)のブログ

趣味の絵やその他日々感じたことを綴っています

取捨選択

今年の3分の1ほどの時間を 自分に優しく、ダラダラと怠けてきた。

4月からは 気を取り直して腰を上げよう。日記に書ける程の事はしよう。

これからするべき事をメモに書き出す。

病院行きが月に2回はある。

スーパーへの買い物は毎日。

衣類の取捨選択 アルバムの整理が未だ

手付かずのままだ。

縫い物も 完成が見込めない物や布は、手放そう。50年前に買った糸も 使わないうちにブツブツ切れ易くなった。

後 何枚服が縫えるのか 縫える分だけの布を残す事にする。

気のおける人からの頂き物、 これが難物。

もう亡くなられた人でも、その人からの頂き物を捨てるのは、勇気のいること。

誰かに頼みたいほどだ。

手を合わせて 捨てよう!

住所録

友人が ケイタイの電話帳に亡くなった人の番号が増えていく と言う

私の紙の住所録は もうすでに使用不能になっている。斜線に埋め尽くされ、私の活動期の記録簿と化している。 

新しく紙の手帖を買おうかと思うが 書く人の名も減り 2~3ページで間に合う。手作りの手帖で充分だ。 

年賀状作成の名簿はパソコンに別に保存してあるが それの修正もそろそろはじめなければならない。

私は 住所が介護施設になる日まで したいことをして 迷惑がられながら しぶとく生きることにしよう。

過ぎ去った時代

もしドラえもんが “どこでもドア”を貸してくれるなら
私は未来よりも 過去の世界をのぞいてみたい
なぜか未来には興味が湧かない 
未来を思いえがく気力能力が落ちているのだろう。 

それより 紫式部清少納言の 素顔を見てみたい
でも 平安時代に行っても 名札を付けているわけではないので 案内人がいないと 誰が誰やらわからないと思う  
 その時代の人が 右往左往しているのを見るのもいいが
解説者が ここはこういう場面ですと説明してくれないと 歴史上の名場面も 日常の一コマにしか見えないだろう。
どんな波瀾万丈の歴史上の物語の人物でも 生で見ることができれば その人の日常は面白くもおかしくもないかもしれない。
私が 昔の思い出を娘たちに語る時 少し粉飾して話し それが定説になってしまうようなものかも。

紫式部の素顔は どんな風貌だろう。
知人の△△さんの顔を当てはめてみる。女性の作家では有吉佐和子みたいな人を想像する。
来年の大河ドラマを期待よう。