知り合いから(むかご)零余子をいただいた
台風が去った後 ほとんどが蔓から落ちていたという
これから実が大きくなる時期だと 楽しみにしていたのに
と 残念そうだ
粒は小さいが 塩味をきかせた むかご飯にした
ピースご飯ともちがう 独特の素朴なあじがある
おかずは 漬物だけでよい
ヤマノイモの恵みだ
訪問した先で 時々感ずることがある
家の内外に 明らかに捨ててもよさそうな品々が
居座っている と。
家屋敷はひろく それがあってもとくに邪魔にはならないのだが
外から来たものには ガラクタに見える
幼児用三輪車 色の剥げたビニールプール たらい
机 椅子 錆びたハムスターのカゴ
また ビールのケースだったり……
外から来た者には ゴミにしかみえない品々だ
ミニマリストの文章に こんな趣旨の一節があった
( 家の中には ガラクタがいつの間にかその位置を占めていて
持ち主にとっては その品物はすでに風景の一部になっており
まったく気にならないのだ )と
その眼でみれば わが家は 風景の一部になっている品々であふれている
流しの脇にちょっと置いたミニ魔法びんがある
ビンは息子が買ってきたのが5〜6個もあって 戸棚にあふれ
行き場がなく ちょっと置いただけなのに 根が生えたように動かない
台を拭くたびに邪魔でしかたがない 捨てるにすてられず
これも風景の一部になりつつある
時々は他人の視点と 捨てる決断力がいるようだ
ショッピングモールの広い駐車場で
車から降りてくる一団を見ていると
何となく全員の雰囲気が似ているような気がする
それが家族であっても 何かのグループであっても
その集団の醸し出す空気というものがあるようだ
同じ釜の飯を食った仲間なら似てもくるだろう
類は友を呼ぶともいう
また反対のこともある
友人におしゃれな人がいる
八十は優に超える年齢だが 身につける衣装には凝っていて
指輪やイヤリングを忘れれることはない
またそれが似合っているのだ
一方 私は しまむらのブラウスと(あえて)ズボンといおうか
そこらのおばさんの格好で一緒に歩く
違ったものに惹かれるのか どこかに共通するものがあるのだろうか