昭和の20年代頃まで
6月~7月からの夏の期間は
たえず 食中毒の危険にさらされていた
冷蔵庫が普及したのは30年代もおわりの頃なのだ
私が小学生の頃 同じ町内の子が 赤痢に罹った
その子は直ぐ 遠くの避病院(ひびょういん)に隔離された
(ヒビョウイン)と言う言葉のひびきは
死の門口にたたされたような 恐怖をもって 人々に受け止められた
私の町の入り口には ロープが張られ 住民は移動禁止になった
今 思うと 移動禁止の我家より
隣の町内の方が 病人の出た家に近いのだが
細長い町全体が不自由を強いられた
大人達がどうやって 日々の食事を整えていたのかは知らない
裏口からこっそり出かけていたのか
秋風が吹くころ その子は無事生還した
現在 衛生面では隔世の感があるが
嗅覚 味覚 視覚は 麻痺させないようにしていたい