息子が 「お母さん これに 生年月日書いて」
と たいして重要でもなさそうな
書類をわたす。
「あんた 自分で 書いたら」
と 言おうとして
息子は私の生年月日を知らないのだ と気がついた。
生年月日は 私が国民学校に入学した時
生まれた順に 身体検査を受けて以来
私の分身となって
人生の節ぶしに役割を果たしてきた "意味深い" 標
ただの ”数字” ではないのだ。
それを知らないとは。
子供たちの生年月日は すぐ言える
孫たちのは ちょっと 朧だけど。
母のは 私と生まれ月が同じなので 忘れてはいない。
が 父は9月だか 11月だったか
判然としない。
子は 親の方には あまり意識が向かないように
できているのだろうか